苦悩

人は自分が苦しいと思う時、
いやがおうにもアレコレ考える。
そして考えれば考えるほどに
どんどん苦しくなっていく…

いわゆる苦悩というやつだけど
コレは大なり小なり、きっと
誰でも経験したことがあるよね。

で、そんな時

「考えるから苦しくなるんだよ。
だから考えるのをやめちゃえばいい」

みたいなコトを言う人がいる。

なるほど、一見
目からウロコ、とても素晴らしい
アドバイスのような気がしてしまう。

でも、それはあくまでも
一時的な緩和処置にすぎないのだ。

あ、だからといって、そんなのは
全く無駄だとかって話じゃないよ。

苦悩で心が限界まで疲弊しフリーズ
してしまっているような人にとっては
一時とはいえ、緩和することが
必要な場合もあるからね。

で、その緩和がなぜ必要なのか
といえば、それはきっと

再び考えることができるような
状態に自分をもっていくため。

だったりするわけ。

これはひとつのイメージというか
仮の話としてでも構わないのだけれど

苦しむ状況が自分に訪れているのは
「考える」ということをしなさい
という課題が自分に与えられている
ということだと捉えてみて欲しいのだ。

いや、それこそコレは考えてみればだけど、
仮に、日々楽しいだけだったとしたら
僕たちは「考える」ってしないでしょ?

だから、きっと、
考えるためにこそ
僕たちに苦悩は訪れるのだ。

そして、その課題をクリアしきらない
限り苦悩はいつまでも続く、、、

みたいなメカニズムになっているわけ。

そう。だから、ここは潔く、ひたすら、
とことん考える。それだけでいい。

目の前に顕現している苦悩の元
その事象は、単なる「考える」ための
道具立てにすぎない。

そんな具合に捉えてみると
ちょっと自分のスタンスが
変わってくるように思わない?

“悩む”んじゃなくて“考える”

こうやって、言葉・表現を
置き換えるだけで、何となく

受動的⇒能動的

みたいなニュアンスが出てくるでしょ?

また、一応補足しておくと

学生時代の中間・期末テストが
きちんと勉強した範囲から
出題されるのと同じように

今の自分に一応は必ず解けるはずの
モノしか出題されないように
なっているのよ、コレ。

(ただし、ここの文脈では即時
それを解けるかどうかは本筋ではない)

学生時代、テスト前にしか勉強なんてしなかったよ~
なんて人は結構いると思うのだけれど
要はそれと同じ理屈でね

苦悩がちょいちょい僕たちに訪れるのは
節目節目でちゃんと「考える」ことを
しなさいということなのだ。

で、テストって、とにもかくにも
期間中、まがりなりにも全教科分、
時間いっぱい問題用紙と格闘すれば
ちゃんと終わったよね。

そしてその出来はどうあれ
「やった~終わったー♪」という
何ともいえない解放感、あったでしょ?

まぁ、結果として何点とれたとか
それによって成績がどうだったとか
当時は一喜一憂したかもしれないけど、
今からすればさほどのことではない。

それと同様、今、何かしらの事象について
与えられた時、必要な分だけ
とにもかくにも考え続ければひとまずは

「やった~終わったー♪」

ってなるはずだから大丈夫。

そのテスト問題を解くのが主題ではなく、
問題に向き合って、それを解こうと
考えることこそが大事なのだ。

つまり、考えるのをやめちゃうと
いつまでたっても担任の先生の

「はい、それまで!」

の掛け声はかからないわけ。

だからね。

自分のペース、状態によって適宜、
休みながらでもそれは構わない。

ただ、考えるコトをやめてしまったら
いつまでたってもこの苦しい!?
テスト期間からは解放されないのだ。

ちなみに

実は日々の中で、受ける受けないは
完全自由選択な小テストが用意されていてね。

そこで「考える」をこまめにやっていると
うんうん唸らなければいけないような
難問は出題されない。

(というよりは、同じ問題なんだけど
それが簡単に感じられるという方が
よりニュアンスとしてはあってるかな…(¨ ))

小テストをスルーして、まとめてドンと
「考える」か

日頃からこまめにちょいちょい
「考える」か

それは自分次第なんだけどね、うん。^^;

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