スピリチュアルへの偏見(その2)

前回

田久保流秘伝

ダブルアームスープレックス
ビル・ロビンンソン@人間風車 由来

ではなく

アントニオ猪木由来の《風車理論》
↑ココ大事!(笑)

によって

僕の持っていた疑念・偏見等を
見事にutilizeしてくれた田久保さん。

そのおかげで、自然に、無理なく、心地よく。
自分のペース・タイミングで
僕の『スピリチュアルへの偏見』
いい感じに取り除かれていった。

という話を書いてたら長くなっちゃったので
今回は、そのつづきを

と、いいつつ、今回のも充分に長い…^^;
でも、話がうまく途中で切れなかったんで
今回は30分拡大版でお送りします(笑)

前回の話:スピリチュアルへの偏見
http://liberty-web.info/wp/archives/229

さて。

前回も書いたように

いわゆる《スピ系》といわれる話に
以前の僕はものすごく拒絶反応があったのよ。

(そもそも、この“スピ系”という言葉の
イメージ・ニュアンスも世間的には
実に粗雑な感じで名詞化されてると思うけど…)

書籍のコーナーで、パラパラっと
そのテの本をめくった時
そこに書かれている

《お花畑でハッピー》的な

(当時はそう感じたのよ…^^;)

表現を目にして

「何を言ってるんだ、、、
コイツは。。。」(;¬д¬) アヤシイ

と、意味がわからなかった。

でもね。

一応自分でもそれなりに学び、体感し、
うけいれることができた今の自分は

うーむ、、、なるほど
そりゃ、言葉を使って“それ”を
表現するのって難しいよな。。。

とか、思うのよ。

誤解をおそれず、“それ”を素直に
著そうとしているその人って、、、

スゴイ。。。とも ね。

とはいえ、やはり、その一方。

今回の勉強会のテーマにもあったように、
自身で体感し、自分なりに真理・精神世界の
しくみ・前提をうけいれた側。

それを発信する側の表現・在り方って
やはり重要なポイントだよな と思うのだ。

神だの、愛だの、光だの
とにかく全ては感謝なんです。

とか、いきなり言われったって、、 ねぇ

そりゃ、言われた方は面食らうってもんだ。

また、中には、ただ単に、何でもかんでも
「感謝します」「ありがとう」
って、とりあえず言ってればOK
(そうすれば成功できる、金持ちになれる)

みたいな感じにしか、どうしても
思えないような人もいて、、、(¨ )

こっちとすれば、そういう類の話に対しての
偏見・拒絶反応は増強されてしまうわけ。

いや、もちろん、うけいれ組の
ほとんどの人はこんな乱暴なコトはしない。

相手、言葉、時、シチュエーション、等々
その場にふさわしい周波数に自分を
チューニングしてコミニュケーションを
はかろうとしているのだと思う。

でも、本人はそうしよう、
そうなっている つもりでも
ついつい無意識に出てしまう!?

結構な数の人が醸しだす、
僕の反発を増強・誘引していた
雰囲気・空気感的なモノって

コレだったのかもな、、、

と、思い当たったのよ。

で、それは何かというとね。。。

実は、前回の記事を今読み返してみるに、
気がつけば既に書いてるじゃん、自分。
って、感じなのだけれど

> 何か言いくるめられてるとか、
> 無理くり説得されてる的な圧

> 僕が言っているコトを
> 上から目線で軽く受け流されている感じ

そう。

僕が田久保さんには一切、感じなかった
と、言っていた、この感じなわけ。

コレは今の自分も気をつけないとな
と心がけてはいるのだけれど

自分の中で、いわゆる“真理”の
うけいれ体制が整ったというか、
その扉を見つけて開いた!? かも
みたいなのを実感できた時って、、、

その

『おーーーーーーーーー!♪』

っていう納得・腹落ち感が
きっとものすごいから、、、

『いや、もう、わたしったら!
わかっちゃったんですよぉー♪』

的なヤツがにじみ出てきちゃうわけ。

ついついその感じを伝えたくなって
熱が上がってしまう。

で、聞かされている側からすれば
『圧がスゴイんですけど、、、』
みたいな抵抗感が誘発されてしまうのだ。

また、本人的には自分の中で
さまざまなプロセスを経て、

うん。結局、この感じを表すのに一番
ニュアンス的にふさわしい言葉って、やっぱ

愛だな、感謝だな、etc,,,

ということに、なるのだけれど

言ってる側と聞かされている側の
その言葉に対するニュアンスは
全然別モノなのよ、おそらく。

しかも、言い古されて手垢がついた
ではないけれど、なまじ誰でも知ってる
シンプルな言葉ゆえに余計、質が悪いのだ。

で、その一方

そういう熱血タイプじゃない人は
そういう圧は感じさせないのだけれど

いや、何をそんなに悩んでるのよ。
そのままでいいじゃない、
そのままでいいんだよ。

的なコトを言う場合が多いわけ。

で、さらには

いや、わかるよ。
だって、俺もそうだったから。

と、どこか受け流すというか

はいはい、キミは、まだその段階なのね。

カワイイねー、うん、がんばれ(⌒-⌒)

みたいな?!

どこか上から目線風味な
感じを醸してくるのよ。

031

・・・

と。

この2つの僕の経験則的
反発増強・誘引要素。

(いや、そんなひねくれた反応をするのは
お前だけだよ!、、、って反発は
まぁ、おいておいてもらって。。。^^;)

例によって、今書きながら、
思い当たったのだけれど

そもそも

真理・精神世界・スピリチュアルって

人それぞれ、自分の中にある、
自分だけの、自分探求物語なわけでしょ?

で、このドラマはその人によって
登場人物、ストーリー展開、
演出、効果音等、何でも自由自在。
いかようでもOKな最高で壮大な
エンターテイメントなのよ、きっと。

そこに現れる悩みや心配事、
キュンキュンする切なさ、愛しさ、
裏切りにあっての憎悪や復讐心、

からの

よし!ざまぁみろ!!
あースッキリした!的な
日本人大好き勧善懲悪風カタルシス
なんかも

その全てが、この物語に必要な伏線であり、
それを回収しながら、シーズン1、2、3…と
ひとつひとつのエピソードが解決していく。

みたいな(p_-)

だからね。

発信者側の役割を担っている者は

わぁー!続きがめっちゃ見たくなる♪

というセンスある、予告・解説的な
モノを心掛けるようにする。

決して

あー、それね。もうすぐヒロインが
死んじゃって、で、それを期に
主人公はどん底に落ちちゃうのよ。

あ、でも、大丈夫、最後は必ず
ハッピーエンドになるから。
全然心配いらないよ(o ̄∇ ̄o)

なんてコトをドヤ顔でコチラに
おかまいなくベラベラしゃべくる
センスのない、全て台無し!な
ネタバレ野郎

みたいな?!感じにはならないように

うん、気をつけよう… って

そんな風に思ったのだ(¨ )

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