納得の決着

今の自分にどこか行き詰まり感じて、
セミナーに行ったり、本を読んだり とか。

新たな学びを得て、自分を変えるぜぃ!
と意気込んでいたはずなのに、、、

せっかく学んだことを
なかなか実践できない。。。

という人が結構多い。

なんで、できないかというと
なんで、それをするといいのかが
納得できないとやる気にならないから。

そう。

とかく、人は自分のやることに
納得を欲しがるわけ。

で、これまでの知識・経験を総動員して
アレコレ頭のなかで様々な想定を積み上げ、
その新しい学びの整合性を探りまくる。

実践する前段階で、まずは何とか自分で
納得しようと頑張るのだけれど

実は、それって言い換えれば

自分で自分を必死に説得しようとしている

という構図になっているのだ。

でも、人って

誰かに何かを無理くりに説得されるのって
その内容の是非・云々に関係なく、
何か無性に反発したくなるものでしょ?

今のお前はダメダメなんだから、
コレコレこうした方がいいって!

だいだい、あの時だって△△だったし、
いつもお前は●●じゃないか!

だから、四の五の言わずにやれよ!

と、自分Aが自分Bを何とか
説き伏せようとしてくる。

でも、自分Bの方は

今までの自分をどうにかこうにか
正当化する理屈を何とかつけたい。

その理屈が自分の中で成立しない限り
素直には従えない。

みたいな?!

《自分A vs 自分B》

の時間無制限1本マッチが
自分の中で繰り広げられているわけ。

021

でも、そもそもの話

“新しい”学びを“今までの”
知識・経験を駆使して、何とか
成立させようとするって、、、

どうよ?って感じだよね。

で、こんな矛盾の上で繰り広げられている
この闘いには決着がつくはずもなく、
やがては、疲れ果て、嫌気がさして、、、

他にもっと納得のいくモノがないか と
また違う学びを探し求めるのか?。。。オレ

・・・

こんなループにハマってしまうわけ。

(いや、まさに、僕もそうだった…^^;)

で、思ったのだけれど

「実践するために納得する」

一見、普通に成立しそうな気がする
この文言が、そもそも不自然なのでは
なかろうかと。。。(p_-)

「食べるために料理する」

コレはいたって自然な日本語だけど

「料理するために食べる」

だと、、、

『ん?どういうこと??』

ってなるでしょ。

(まぁ、コレも前後に何らかの文脈を
無理くり加えれば、成り立たなくはない?!
のかもしれないけれど、、、^^;)

そう。

自然なのは

「納得するために実践する」

なのだ、きっと。

〈納得する〉と〈実践する〉

この2つのワードは

納得したかったら実践しなよ。
⇒食べたかったら料理しなよ。

という使い方が当たり前で自然な
組合せになる、そんな相関関係に
あるに違いないのよ、うん(p_-)

だからね

実践するために、まずは納得したい

なんて言ってても、埒はあかない。

まずは、料理しなければ食べられない

ように

まずは、実践しなければ納得はできない

そういうモノなのだ。

429990

と コレさえ、わかっちゃえば ね。

うん、コレでようやく

説得したい自分A vs 納得したい自分B

の長きに渡る不毛な消耗戦は
めでたく決着!?

かも(¨ )

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