セミナーに行ったり、本を読んだり とか。
新たな学びを得て、自分を変えるぜぃ!
と意気込んでいたはずなのに、、、
せっかく学んだことを
なかなか実践できない。。。
という人が結構多い。
なんで、できないかというと
なんで、それをするといいのかが
納得できないとやる気にならないから。
そう。
とかく、人は自分のやることに
納得を欲しがるわけ。
で、これまでの知識・経験を総動員して
アレコレ頭のなかで様々な想定を積み上げ、
その新しい学びの整合性を探りまくる。
実践する前段階で、まずは何とか自分で
納得しようと頑張るのだけれど
実は、それって言い換えれば
自分で自分を必死に説得しようとしている
という構図になっているのだ。
でも、人って
誰かに何かを無理くりに説得されるのって
その内容の是非・云々に関係なく、
何か無性に反発したくなるものでしょ?
今のお前はダメダメなんだから、
コレコレこうした方がいいって!
だいだい、あの時だって△△だったし、
いつもお前は●●じゃないか!
だから、四の五の言わずにやれよ!
と、自分Aが自分Bを何とか
説き伏せようとしてくる。
でも、自分Bの方は
今までの自分をどうにかこうにか
正当化する理屈を何とかつけたい。
その理屈が自分の中で成立しない限り
素直には従えない。
みたいな?!
《自分A vs 自分B》
の時間無制限1本マッチが
自分の中で繰り広げられているわけ。
でも、そもそもの話
“新しい”学びを“今までの”
知識・経験を駆使して、何とか
成立させようとするって、、、
どうよ?って感じだよね。
で、こんな矛盾の上で繰り広げられている
この闘いには決着がつくはずもなく、
やがては、疲れ果て、嫌気がさして、、、
他にもっと納得のいくモノがないか と
また違う学びを探し求めるのか?。。。オレ
・・・
と
こんなループにハマってしまうわけ。
(いや、まさに、僕もそうだった…^^;)
で、思ったのだけれど
「実践するために納得する」
一見、普通に成立しそうな気がする
この文言が、そもそも不自然なのでは
なかろうかと。。。(p_-)
「食べるために料理する」
コレはいたって自然な日本語だけど
「料理するために食べる」
だと、、、
『ん?どういうこと??』
ってなるでしょ。
(まぁ、コレも前後に何らかの文脈を
無理くり加えれば、成り立たなくはない?!
のかもしれないけれど、、、^^;)
そう。
自然なのは
「納得するために実践する」
なのだ、きっと。
〈納得する〉と〈実践する〉
この2つのワードは
納得したかったら実践しなよ。
⇒食べたかったら料理しなよ。
という使い方が当たり前で自然な
組合せになる、そんな相関関係に
あるに違いないのよ、うん(p_-)
だからね
実践するために、まずは納得したい
なんて言ってても、埒はあかない。
まずは、料理しなければ食べられない
ように
まずは、実践しなければ納得はできない
そういうモノなのだ。
と コレさえ、わかっちゃえば ね。
うん、コレでようやく
説得したい自分A vs 納得したい自分B
の長きに渡る不毛な消耗戦は
めでたく決着!?
かも(¨ )
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