分かる

《全ての事象には善いも悪いもない》

というのを採用すれば
捉え方がおのずと変わる。

とはいえ、それだと、そもそも
その事象を捉えようがない!?

はてさて、この折り合いがつかない感じ
うーん、、、どうしたものか?

という前回の話

善悪

のつづきです。

・・・

さて。

前回の文脈で、どうにも折り合いが
つかない感じになってしまうのには

まずもって大きな勘違いがあるからなのよ。

それは

《全ての事象には善いも悪いもない》

とは言ったけど

『善悪モノサシ使用禁止!』

なんてことは一切言ってない

ということなのだ。

そう。

何だか混乱してしまいそうになるけど

《善いも悪いもない》という感覚は
“善悪モノサシ”を使わなければ分からない

というオチがあるわけ。

『分かる』というのは
文字通り《分ける》ことで
その実体を認識できるというか

わかりやすいとこで言えば“光と影”
『影があるからこそ光を認識できる』
って類のヤツ。一度や二度は
見聞きしたことあるでしょ?

今回のワードは“善と悪”だけど
僕たちは全てのモノ・コトを
相対でしか認識できない。

だから

『善悪モノサシ使用禁止!』

なんてことを勝手に自分で課せば
そりゃ、捉えようがなくなって
しまうのは当たり前の話なのだ。

でも、そのモノサシを使う?!

それは、つまり、善悪判定を
するということなのだから

《全ての事象には善いも悪いもない》

なんてトコには到底辿り着かないのでは
って、一瞬思うでしょ?

コレが冒頭で言った
大きな勘違いを引き起こす要因でね。

善いも悪いもないという感覚を
“分かる”ためには、
もっともっと徹底的に善悪モノサシを
使いこなす必要があるのよ。

で、それはどういうコトかというと

ある事象Aに対して最初にポンと
感じた判定が仮に【悪】だったとしても
その事象の経緯・背景等によっては
感じ方・捉え方が変わってくる。

要は全ての事象には様々な面があって
その善悪判定というのは、
どこにモノサシをあてるかによる
ということなわけ。

巨悪を正すために
あえて悪になる とか

その人を愛するがゆえに
あえて(一見)酷いことをする とか

そんなドラマ、よくあるよね。

法的には確かにNGだけど、
人としてはむしろOKだ!頑張れ~♪

なんて酷い男なの…ぷんすか!(-o-)
だったのが、物語の後半に彼の本心を知って
あーん、切ないよ~(ToT)

みたいな感情移入
したことあるでしょ?

そう。

全ての事象にはその中に、
様々な事象がいくつも
折り重なっているわけで…

それらに一つずつ、
ありとあらゆる切り口で
善悪モノサシをあてていくと

もう、それぞれに、これでもかとばかりに
善・悪がたくさん内包されている
ということが判明してくる。

コレって、仮に

身近に起きた、ある程度の背景も
把握できるような生々しい事象では
なかったとしても、だいたいにおいて
みな同様だろうなというのは想像できるでしょ?

だとすれば

《全ての事象には善いも悪いもない》

というのは言ってみれば

全ての事象にはそもそも善いも悪いも
あり過ぎだから…^^;

その事象の総じた善・悪なんて到底
ジャッジできないっしょ?

それって、つまりは

《全ての事象には善いも悪いもない》

という表現にならざるを得なくない?

みたいな!?

ひとまずは、こんな具合に自分の中での
善悪判定の在り方を見直してみる。

そうすれば、これまでのように
物事の一面だけを見て
安易に善だ悪だと決めつけて思考停止、、、

なんてことにはならないから
捉え方の幅、柔軟性が少なくとも
今よりは出てきそうでしょ?

さすれば、いずれ、やがては
もっと根本的に…

(おっと、今はコレ以上話をしても
混乱を招きそうだから止めておこう…)

と、まぁ

今の(そうなんだよな…の)自分が
当時の(んなわけあるか!の)自分に
この話を伝えてあげるとするなら、、、

こんな感じかな。。。(¨ )

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