善悪

《全ての事象には
善いも悪いもないんですよ》

てなコトを言われても

『んなわけあるか、ボケ!』

と思いっきり反発していた。

でも、最近は少々雲行きが
変わってきて

もしかしたら、
ホントにそうなのかも、、、
いや、そうなんだなぁ。。。

くらいにはなってきたように思う。

(まぁ、その真偽の審議は自分の中で
まだまだ継続中だとしても)

この変化による自身の実感として
様々な事象に遭遇した時に感じる
ストレス的なモノはかなり軽減
されているのは間違いない気がするわけ。

だから、少なくとも僕にとっては

《全ての事象には善いも悪いもない》

については

んなわけあるかい!

よりは

そうなんだよな(そうなのかも…)

の方が真理というか、
より生きやすいのだろうと思う。

で、この変化・自身の中で辿った
プロセスを思い返しつつ

今の(そうなんだよな…の)自分が
当時の(んなわけあるか!の)自分に

『きっと今より楽になるぜ』

と、この話を伝えてあげるとするなら
どういう表現をするか?

みたいにちょっと考えてみたのだけれど

要はコレって
『捉え方』という話なのかな と。

ちなみに、人が苦しくなるのって
その要因はほぼ100%
何かしらどこかに固着してるトコが
あるからなのよ。

で、それを緩めてあげると楽になる と。

で、その固着部分・はめられた枠
的なヤツが善悪のジャッジなわけ。

そう。

僕たちは基本、あらゆる事象を
自身の中の善悪のモノサシを
使って捉えているのだ。

だから、その根っこのところを

善いも悪いもない

とすることで否が応でも
捉え方が変わる。

それによって自身のココロの
コンディショニングが柔軟に
よりしなやかに、いい感じで
できるようになる。

みたいな寸法なのだ、きっと。

とはいえ

ちょっと想像してみて
もらいたいのだけれど

『全ての事象には善いも悪いもない』

と、いくら唱えてみても

もう少し理屈っぽくいくなら
そういう前提を設定して
シュミレーションしてみよう

とかなんとか

そんなふうにトライしてみたところで

そもそもの話として
善し悪しのモノサシがなければ
その事象を捉えようがないというか…

どう捉えればいいのかわからなくない?^^;

だからこそ冒頭のように

『んなわけあるか、ボケ!』

って、僕も反発してたと思うのよ。

はてさて

このグルグルしてしまう感じ

どうしたものか、、、

いや、ホント、思い返すに
このグルグルをクリアする
糸口をつかむのに
かなり僕は苦労したのよ、うん。

ちなみにキミならコレ、
どう折り合いをつける?

(つづく…)

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