縛られて(しがみついて)生きてきた人が、
その不自由さに耐えられなくなって、、、
『こうあるべきだ』という
決めつけ・断定・思い込みは
自分を不自由にするものらしい。。。
ということに気がついたとして
『こうあるべきだ』と固定的に
捉えることはやるべきではない。
→『こうあるべきだ』と
やらない人間で“あるべき”だ。
と、以前と変わらない、いやむしろますます
自分が不自由で苦しくなってしまうという罠!?^^;
そういう罠・パターンに陥ってしまうのって
『自由』というのはその言葉から感じる
ニュアンスとは裏腹に、なかなかどうして
結構しんどいものだからなのよ。
だって『こうあるべきだ』があれば、
少なくともその件についてはその場で
考えなくてもよくなるから、とっても楽ちんなわけ。
僕たちは漠然と
不自由→苦、自由→楽
みたいなイメージを持ってしまいがちだけれど
必ずしもそうではないのだ。
でね
こういうことを自分でちゃんと認識しつつ、
あえて不自由を選ぶ自由?!を自分に与える。
みたいな時があっても、
いいのではあるまいかと思うのだ。
自分では依然、圧倒的に『こうあるべきだ』と
思っているのに、固着するのはよろしくないんだ!
と、無理くり言い聞かせて
手放れていないモノを手放すフリをしてみたところで
そうそううまくいくものではない。
とはいえ、『こうあるべきだ』に対してあらためて
フレキシブルに向き合う意義というか、
ホントにそれは絶対なのか?という問を
せっかく持てたのだから
他人にはそれを強引に押し付けない とか
表現を少し工夫してみる とか
今の自分に無理のない範囲で傍らに心がけておく。
それだけでいい。
そして、やがて、そういうプロセスを経て、
すったもんだの末
『こうあるべきだ』(よね?)
と、誰かの顔色を伺うのではなく
(誰がどう思おうが自分は)『こうありたい』
という感じに自ら辿り着いた時
そこには《苦・楽》なんてモノサシは
介在しない“自由”がある。
のかも。。。(¨ )
最後にポチッポチッと♪
にほんブログ村
専門のカウンセラーに24時間いつでもLINEで気軽に相談できる!
⇒僕もカウンセラーやってます♪
★ココロの体操(生)随時開催中!
少人数グループセッション形式のプチ勉強会で
柔軟なモノの見方・捉え方を身につけよう♪
⇒詳しくはコチラから
★個別のカウンセリング・セッションのご案内はコチラ